2010年9月19日日曜日

ピンドラーマ2010年8月号(その3、ラスト)

<ブラジル美術の逸品>

【アルメイダ・ジュニオール 「煙草を刻むカイピーラ」】 
1893 年 カンヴァス 油彩 202 x 141 cm 
サンパウロ,サンパウロ州立ピナコテカ美術館
Almeida Júnior “Caipira picando fumo”
Pinacoteca do Estado de São Paulo, São Paulo
「ブラジルに帰りたくて我慢ならない」
( アルメイダ・ジュニオール;1876-1882 年の間過ごしたフランスのパリにて。強いカイピーラ訛りの言葉で)

 サンパウロ州立ピナコテカ美術館には、ブラジル人画家アルメイダ・ジュニオールの作品のみが展示された部屋が設けられている。一見、どこにでもありそうな写実的な絵が、よく見ると次第にブラジルならではの国宝級の描写であることに気づき始める。
 『煙草を刻むカイピーラ*』 は、サンパウロ州の田舎の風景を表した作品の一枚。木の断片の腰掛に座るカイピーラの男性は、右手のナイフで煙草を切り刻んでいる。黒い煙草は今もブラジルのタバカリア(煙草屋)で見かけられる、葉が縄状に編まれてグルグル巻きにして保存された煙草の一部で、刻んだ煙草はトウモロコシの皮などに包まれて葉巻のように吸われる。絵のカイピーラの左耳にも使いやすい形にカットされたトウモロコシの皮が挟まれ、地面にははぎ取ったトウモロコシの皮も散らばっている。
 大都市サンパウロを一歩離れて田舎に出向けば
今も絵に登場するカイピーラを思わせる素朴な人々に出会えることがある。馬に乗っているかもしれない。降り注ぐ太陽光線の熱を避ける長袖のブラウスやすそをまくり上げたズボンは、かつてのカイピーラ独特の服装であるという。ズボンを汚す赤土の色もブラジルらしく、背景の小屋の土壁の構造は、植民地期以来、ブラジルの広範囲で見られた家の造りを象徴的に表わしている。
 アルメイダ・ジュニオールは生涯を通して生まれ故郷のイトゥーItu を愛した人だった。自らがカイピーラであることに誇りを持ち、リオデジャネイロの美術学校でもフランス留学時代にも、カイピーラ独特のスタイル( 話し方、服装など) を決して変えることはなかった。パリで過ごしたアトリエにブラジル人の知人がパリジャン気取りの装いで訪れようものなら、それに強く反発し、“ パリは自らを苦しめる土地である” といわんばかりに、一刻も早く郷里に帰ることを切望した。
 画家としての人生の大半をサンパウロ州の田舎町で過ごしたアルメイダ・ジュニオールは、カイピーラの素朴な風俗をはじめ、自らが目の当たりにしたブラジル社会の現実に目を向け、ブラジル写実主義絵画の大家として今日まで称えられ続けている。

★アルメイダ・ジュニオール (1850-1899)
 サンパウロ州イトゥーに生まれる。教会の神父に勧められて絵を描くようになり、19 歳からリオデジャネイロ帝国美術学校で学ぶ。卒業後はイトゥーに戻って絵を教え、肖像画を描くなどして生計を立てていたが、サンパウロを旅行中だったブラジル皇帝ドン・ペドロ二世に才能が認められ、皇帝の奨励を得て1876 年から1882 年までヨーロッパで美術を学ぶ。パリや帰国直後のリオの展覧会で脚光を浴び、美術学校の教授にも招かれたが、生涯郷里を離れることなく、田舎の風景や人の姿を多く描いた。1899 年、長年の愛人関係にあった従兄弟の妻マリア・ロウラとの関係が発覚し、従兄弟の短刀で刺され49 年の生涯を閉じる。作品にはマリア・ロウラをモデルにした作品も数点ある。

*田舎で暮らす人々の通称。カイピーラには独特の文化がある。

文 おおうらともこ




<ピアーダで学ぶブラジル>





<摩訶不思議なブラジル経済>
インフレ鎮静化?


南アフリカ開催のワールドカップが終わり、次はいよいよ2014 年ブラジル開催のワールドカップである。今回のワールドカップは結果だけを見てみると、日本やウルグアイの躍進等意外なケースもあったがスペイン優勝という大方の予想通りになった。日本人審判がブラジル戦で笛を吹いたのも印象的で、ブラジル人アナウンサーが「東洋人に決勝トーナメントの笛を吹かせるのは無理だ」とのコメントが個人的には印象的であった。ブラジルはいよいよ2014 年ワールドカップ・2016 年のオリンピックの準備に入るが、先日リオ・サンパウロ・カンピーナスを結ぶ高速鉄道の入札の詳細が発表された。今年の11 月末に入札が行われ同年12 月中に落札者が発表される。2014 年のワールドカップまでの完成にはもちろん間に合わないが1016 年オリンピックまでの完成を目指す。
 ブラジルの足元の経済活動を見てみると、物価の上昇率が予想されているほど高くなく落ち着いている。6 月の消費者物価指数の代表であるIPCA は0%と発表されている通りであるが、このIPCA 指数を過去10 年遡ってみると過去インフレ率がマイナスになった月は3 回のみでどれも6 月である。しかもワールドカップのある年の6 月はインフレ率が下がる傾向が強い。このインフレの傾向を踏まえてブラジル中銀は政策金利(SELIC)の上げ幅を0.5%として年10.75%とすることを決定している。年初の予想では0.75%上げて年11%とすると見られていたので、金利上昇スピードが緩んだことになる。
 7 月のIPCA15(これは通常のIPCA 指数が月初から月末の物価を比較するのに対し、各月15日に前月の15 日の物価と比較する指数)の内容をみると食料品が0.42%減少しており、その内訳を詳しく見ると、ジャガイモが-16.48%、トマトが-14.94%、玉ねぎが-13.08%、ニンジンが-10.32%、砂糖が-7.47%、牛乳-4.49%となっている。また、移動に関わる費用も下がっており、新車の価格が-1.16%、中古車の場合は-2.22%、ガソリンが-0.53%、アルコール(燃料が-3.15%となっている。一方で食料品以外の
製造品の価格は0.12%上昇しており、また、住居に関わる費用は0.57%の上昇となっている。
 この傾向を受けてブラジル中銀は年間のインフレ率(IPCA)の見通しを5.45%から5.42%に変更している。その他のインフレ指数IGPM(卸売物価指数の1 つ)も8.89%から8.79%へ、IPC-Fipe(消費者物価指数の1 つ)は5.15%から5.12%へ年間見通しを変更している。基準金利SELIC についても市場は年末までに更に1%の引き上げを予想しており最終的には11.75%になるとみている。これは年初には12%を超えると見ていたのに比べると金利引き上げのスピードが鈍化していことを反映している。
 インフレ率が予想を下回っているが経済成長率は今年は5%程度を確保することが予想されており、「インフレ無き成長」までいかないにしても物価が比較的安定している中での経済成長が続いている。ブラジルのインフレ体質も改善されつつあると思う。先日、日本の経済白書で「日本は構造的なデフレ体質」との記事があったが、ブラジルも構造的なインフレ体質であったと思われるがこれが改善されてきたと思われる。
 さて、ブラジル経済に関しては良いニュースが目立つがブラジルの経済格差の記事が出ていた。国連によるとブラジルは世界的にも経済格差の大きな国であるのは既知のことだが、世界のワースト3 に入っており、1 位がボリビア、2 位がハイチ、3 位がブラジルだそうだ。ブラジル経済は順調に発展しているがまだまだ改善すべき点は多い。

加山 雄二郎(かやま ゆうじろう)
大学研究員



<ブラジル社会レポート>
いよいよ始まった大統領選挙 
PR したもの勝ちのブラジルのシステム


 サッカー・ワールドカップは、ブラジル代表がベスト4 にも残らず敗退。誰もが想像すらしなかった?結果に、次の監督はどうするんだとか、この顔ぶれで4 年後は大丈夫なのかといった話題で盛り上がったかと思うと、商業関係者は「さっさと負けてよかった」なんて言っております。飛ぶように売れて問屋街では追加発注が相次いだブブゼラの売れ残りがどうなるのか、微妙に気になるところ。それから代表ですが、ブラジルはタレントを持った選手の宝庫なので今から4 年後を考えても仕方がない、というのも真実でしょう。それにしても、本当にこの国の人は何故にサッカーでここまで熱くなれるのでしょう。
 一方で、ワールドカップが終了すると、同じく4 年前から関係者がやきもきしながら10 月に決戦を迎える、もうひとつのイベントの火ぶたが切って落とされました。そう、大統領選挙です。
 今回の大統領選挙では、当初こそ野党ブラジル民主社会党(PSDB)所属で前サンパウロ州知事のジョゼ・セーラ氏が支持率で与党候補を含めた他の候補と20 パーセントポイント近い大差をつけ圧倒的に有利と言われてきました。が、ふたを開けると7 月の選挙運動解禁時点でなんと与党労働者党(PT)のジルマ・ロウセフ候補に支持率で追いつかれて横並びのスタートという驚きの展開になっています。昨年末までは、支持率どころかロウセフって誰?という知名度すら低く、私の周囲のブラジル人主婦たちの間でも名前を発音できない人が圧倒的多数だったのですが(笑)。言い換えれば、年末休暇の美容整形による若返り前の顔を知っている人のほうが圧倒的に少なく、ロウセフ候補といえばあの顔、というのは整形後の人当たりの良さそうなおばさん的ニコパチ顔というわけです。対するセーラ候補は、厚生大臣の経験があるなど有権者にもおなじみのため、あのヨーダ顔を整形するわけにもいきません。写真判定に持ち込まれれば明らかに不利。と言っても、もちろんそんな単純な判断で大統領が決まるわけではなく、現在の支持率横並びの状況はPT、とりわけルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ大統領の必死の工作が実った結果と言えるでしょう。
 「2 期務めたら次は子飼いを当選させて冷却期間を設けなければ、次々と在任中の汚職が暴かれてしまう」というのは、真偽はともかく、ブラジルの政界関係者がよく使う言葉です。たとえばサンパウロ市政では、パウロ・マルフ氏の子飼いのセルソ・ピッタ氏が後任市長に就任したものの、その後に関係が悪化してマルフ氏の不正蓄財といった汚職が明らかになるといった事件もありました。この言葉がルーラ大統領に当てはまるのかどうかはわかりませんが、後任大統領の候補に関しては異常なまでにロウセフ前官房長官にこだわってきたのは、よく知られる事実。連立政党の圧力どころか、PT 党内の圧力にもぶれることなく、一貫して(当初は有権者に全く無名だった)ロウセフ前官房長官を推してきました。
 圧倒的な支持率を誇るルーラ大統領ですが、その支持率はあくまでも個人のカリスマ性。現在でも、ルーラ大統領への支持= PT への支持という流れにはなっていません。しかし各種の支持率調査で明らかなことは、次期大統領に関して「ルーラ大統領が指名する後継者を、候補者が掲げる政策に係わらず支持する」という有権者が、全有権者の半数近くいるということです。そこでルーラ大統領が採用した作戦は、とにかく公務の場で自分がロウセフ候補を個人的に支持していることを示す、というものでした。もちろんこれは、選挙法違反。しかし、カリスマ的な人気で3 期目のないルーラ大統領にとっては、どうということもない話。いわば罰金を選挙活動費に置き換えた形で、7 月上旬までにすでに6 回、総額4 万2500 レアルの罰金が課されています。さらに7 月13 日にはブラジル版新幹線(TAV)の入札図書発表式でも、ロウセフ候補を同鉄道事業の立役者として称賛。さらに翌日の謝罪記者会見では、「言葉が過ぎた」と言いながら、「とは言え、実際のところ彼女がこの事業をスタートさせたのは誰もが知るところ」と畳み掛けるといったパフォーマンスぶりです。もっとも、ルーラ大統領はこの罰金を踏み倒すつもりのようで、現時点でビタ一文として支払っていません。
 もちろん、罰金を命じられているのはルーラ大統領にとどまらず、ロウセフ候補(7 月中旬までにすでに4 回)もセーラ候補(同じく1 回)も同様。候補者本人が違反をして罰金を食らっても、出馬そのものが失効しないところがブラジルらしいですね。

美代賢志 (みよ けんじ)
ニュース速報・データベース「B-side」運営。
HP : http://b-side.brasilforum.com



<クラッキ列伝>
第13回リヴェリーノ


 タンゴの国が敗退すれば、ブラジルは笑い、サンバの国が涙すれば、アルゼンチンが勝ち誇る――。サッカーに関しては互いに譲らない南米の両雄によるエピソードは数知れず。南アでもマラドーナは「ペレは博物館に戻るべきだ」と毒舌ぶりをアピールしたが、そんな隣国が生んだ最大の天才でさえも敬意を払う、ブラジ ルの英雄がいる。ペレの引退後、二度にわたってW 杯で背番号10 を背負ったリヴェリーノだ。
 ペレやジェルソンら数々の天才とともに自身初となる70 年メキシコ大会で史上最強軍団の一員として世界一を獲得。左サイドをアップダウンする戦術的理解度に加えて、パス、ドリブルの全ての要素を兼ね備えた攻撃的MF だった。中でもあのマラドーナが幼少時に憧れたというドリブルは代名詞。「必殺技」はエラスチコとして、最近ではロナウジーニョ・ガウショらが頻繁に使用するボールテクニックだ。
 第二次世界大戦終戦直後の1946年に生を受けたロベルトは、幼少から町中でのサッカーに明け暮れた。日が暮れてもボール遊びに熱中する幼きロベルトの名を叫ぶ、母の姿は町の馴染みの光景でさえあった。
 幼馴染との遊びを経て、リヴェリーノが最初に技を磨いたのがフットサルだった。その名の通り「ゴム紐( エラスチコ)」で足にボールをくくりつけたかのような、人為的なボールの動きで幻惑するフェイントの創設者は、実はコリンチャンスの下部組織時代のチームメイトだったセルジオ越後だったが、セルジオに教えを請うた天才児は、自らのアレンジを加え、目の肥えた王国のサッカーファンに左足一本で歓喜をもたらして いく。
 柔がそのフェイントならば、剛は強烈な左足のFK。「パターダ・アトミカ( 原爆キック)」とさえ称されたFK は、46 年たった今でも長いW 杯の名場面の一つとして記憶されている。
 ペレ引退後、エースとして背番号10 を背負って挑んだ西ドイツ大会。東ドイツ戦で、世界はペレの後継者たる者の凄みを知る。相手の壁に入った味方のジャイルジーニョがしゃがみ込んだ瞬間に、わずかボール1個あまりのスペースをリヴェリーノが左足で射抜き、驚愕のゴラッソ( スーパーゴール)。
 「78 年大会は僕の中で存在しなかった」と振り返るように最後のひのき舞台となった78 年アルゼンチン大会は控えが多く、わずか3 試合に終わるなどセレソンでの有終の美は飾れなかったが、ペレ引退後のW 杯で、二大会に渡ってエースナンバーを背負ったのはリヴェリーノとジーコ、そしてリヴァウドのみ。
 南アに向かうブラジル代表の後輩たちを、リヴェリーノはこう評していた。「今のセレソンには創造性がない」。その慧眼は、ドゥンガ率いる「鳴かないカナリアたち」の行く末を見通していた。

下薗 昌記 (しもぞの まさき)
大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科を卒業後、全国紙記者を経て、2002 年にブラジルに「サッカー移住」。約4 年間で南米各国で400 を超える試合を取材し、全国紙やサッカー専門誌などに執筆する。現在は大阪を拠点にJリーグのブラジル人選手・監督を取材している。



ドゥンガ主義の結末

7月2日、ポートエリザベス。ドゥンギズモ( ドゥンガ主義) が南アフリカの地に無残に散った。8 年ぶりの世界制覇を目指したブラジル代表は、世界中の誰もが畏敬の念を抱く「セレソン」ではなく、単なる「ドゥンガ選抜」だった。

 負けの不思議の負けなし――。結果的に準優勝を果たすオランダ相手に前半は一方的な展開で押し込み、不運なー一見はだが―逆転負けを喫したかにみえたブラジル代表だったが、4 年間のドゥンガ体制で懸念された弱点が、一気に噴き出たのがこの大一番だった。
 「引いた相手を崩せるタレントがいない」「ボランチだらけ」――。数々のOB や評論家が懸念したカカー依存症。大会前から一向にコンディションが上がらない背番号10 について大会後、チームドクターは「W 杯でなければ強行出場させる状態でなかった」と釈明したが、明らかにカカーは本来の調子に程遠かった。1-0 で迎えたオランダ戦の追加点のチャンス。お得意の角度から放たれた一撃は相手GK の好守に阻まれたが、本来のカカーならば確実に蹴り込み、オランダの息の根を止めていたはずだった。
 皮肉にもドゥンガが何より重視し、これまではブラジルの得点となってきたはずのセットプレーが、2失点となって王国にのしかかる。4 年間のドゥンガ体制でついに見いだせなかった左SB の弱点は、ロッベンという世界屈指のアタッカーとの対峙で崩壊。2失点のセットプレーも左サイドで献上したものだ。一見、強固に見える堤防もアリの穴から崩壊するというが、所属クラブで左SB を務めていないミシェウ・バストスは遅かれ早かれ、強国の餌食になっていた。
 奇しくもドゥンガの愛弟子であるフェリペ・メロの不用意な退場劇ばかりが、取り上げられがちだが、左サイドを蹂躙するロッベンにいらついていたという伏線を忘れてはいけないし、今季所属クラブのユベントスで29 試合で5 度の退場を記録しているひ弱なメンタルの持ち主を、仮にラミレスが出場停止だったとしても大一番で起用した指揮官にも責任がある。
 最大の罪は、やはりドゥンガ自身にある。ガンソやネイマールら国内のクラッキを「経験不足」と切って捨てたものの、フェリペ・メロやミシェウ・バストスは経験十分だったのか?
 相手を「崩す」のではなく、「ボールを奪う」ことに主眼を置いた主に中盤の控え選手は、紛れもなく史上最低のサブだった。就任58 試合目にして初めての逆転負けを喫した指揮官は、専守防衛の選手が並ぶベンチを見て、頭を抱えたに違いない。おまけに、数的不利とはいえ、1 点を追う場面でルイス・ファビアーノに変えて、ニウマールを投入する不可思議な采配を披露。ネイマールやグラフィッチともにスペースのない展開では生きな いFW では流れを変えようもなかった。逆境で効果的な手を打てないのは、ドゥンガ同様に監督経験のないままW 杯に挑んだアルゼンチンのマラドーナも同様だ。
 豪華なタレント陣に過度の自由を与えた2006 年のドイツ大会。凡庸な陣容を、ピッチ内外での規律で縛った南ア大会。「機械仕掛けのカナリアたち」は、世界はおろか、自国の民さえ納得させることなく、エクサ(6 度目) への挑戦を終えた。

下薗 昌記


<開業医のひとりごと>
今月のひとりごと:『酒は百薬の長、にはなってないよな。』


東洋には古くから「酒は百薬の長」という言葉があります。実際ゆっくりと香りとコクなど味を楽しむ、酒席(コミュニケーション)を楽しむなどリラックスできますし、医学的には適量であれば末梢血管を拡張させ、血行をよくする作用など良い面は多々あります。でも現在の生活環境ではどうなのでしょう?結論から言うとカロリー摂りすぎの重要な要素になっているのではないかと思います。表の一般的なお酒とカロリーを見ると、例えばウイスキー1 ショット125 カロリー(成人男性の1 日の必要カロリーの約7%)で、数値的に見るとそんなにとんでもなくはないのです。オレンジジュース(生)で1 杯110 カロリーぐらいなので比較してもカロリー量としては殺人的ではありません。問題はカロリー量ではなく、それの取り方です。一晩でオレンジジュース5 〜6 杯は飲まないですよね。ところがウイスキーを5 〜6 ショットは心当たりのある方は結構おられるでしょう。また、黙々とウイスキーを飲むということはありません。必ずおつまみだの食事だのさらにカロリーが取り込まれます。下手をすると、夜の一食で一日の必要カロリーを摂取していたりします。

『さらに、お酒はストレスの発散に使用されるので、「楽しむ程度」ですまないことが多いのだな。元のストレス自体も身体に悪いし。ブラジルだとカイピリーニャが好きな邦人が多いのだが、1 杯300 カロリーだぞ!このような環境でメタボになるなといっても無理かな?』


秋山 一誠 (あきやまかずせい)。
サンパウロで開業(一般内科、予防医学科)。
この連載に関するお問い合わせ、ご意見は hitorigoto@oriente.med.br までどうぞ。

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