2011年3月31日木曜日

ごまかされるなら、ごまかしてみよう。

こんばんは、木曜の男の出番でございます。
(私一人だけですが・・・)

さて、いつもランチを食べるバールでは、
時々5センターボや10センターボ程、ごまかされています。

例えば、R$10.70のランチ代を、
紙幣で払うとちゃんとお釣りが返ってくるのですが、
細かすぎる硬貨で支払ったら、お釣りが返ってきません。
お釣りの硬貨数が少なくて済むように。と払った時ほど、そうなります。

ちなみに私は、硬貨をポケットに裸で入れています。
なので、ポケットに硬貨が無い状態が好ましいのです。
極力、少ない数の硬貨でいたいのです。

なので、R$0.50のお釣りをR$0.25の硬貨で2つ渡されたら、なんかイラッとするのです。
R$1.00のお釣りをR$0.50の硬貨2つで渡されるのもイヤなのに、
R$0.25の硬貨で4つや、R$0.05を混ぜて渡されると、落胆してしまうのです。

まぁ、そんな性格なので、極力硬貨1つや2つでお釣りをもらえるように、
こちらで計算して支払うのですが、
バールの店員は、「ややこしい支払いしやがって。」って感じの表情をします。
そして、細かいお金の計算せずに、おおよそでお金を受け取ります。
こちらが小銭を5つ以上で払うと、見た目と質量感で受け取ります。
つまり、数えずにお金を感じているのです。

あぁ、大ざっぱなブラジル人・・・
(こちらが日本人だから信用している可能性もあるかもしれませんが・・・)

日本では硬貨を少なくする事を考えて支払いしますが、
こちらでは、相手が計算しやすいように支払う事が逆に親切なのかもしれません。
(なんで、支払う側が店員に気を遣うんだ??って思いますが・・・。)

いつも行くバールは店員の雰囲気も接客も良く、悪どい感じは全くありません。
悪気があって、小銭をちょろまかしてる感じではないので、
R$0.05のお釣り間違いは計算をメンドくさがってるだけのようです。

最初はR$0.05のお釣りをもらうために、お釣り足りないよ!って優しく言っていたのですが、
なんかケチくさい感じもするし、逆に意地悪な感じもするので、
R$0.05位は諦めるようになりました。

そう思って、計算しやすいようにお金を払っていたら、
小銭がポケットにどんどん溜まっていくのです。
あぁ、なんと目障り・・・

さて今日は、ポケットにたくさんの硬貨でR$0・90しかありません。
私はランチ以外にもバールでは1日2回ほど、
R$1.00でコーヒーを飲むのですが、
その為に紙幣を崩すのもまたメンドクサイし・・・

そこで、いつものリベンジをする事にしました。
このジャラジャラした硬貨でR$1.00に見せてコーヒーを飲んでやろうと。
もし、目の前で計算されたら、笑ってお札を出せばいいし。

結果から話せば、飲めました。
R$1.00のカフェをR$0・90で。
お金を渡したら、目で確認して手の上でじゃらじゃらと硬貨達を弄び、
にこやかにコーヒーを入れてくれました。

あっさりとリベンジ成功です。
今までの損を1/5程取り戻しました。
(この調子で帳尻を合わせにいこうと、本日誓いました。)

なんて、ケチくさい男なんだ?と皆さん思われたでしょう。
私もそう思います。


では、そこで木曜の一句。

  ごまかされ、

    負けじと通い、

     常連に。

では、また木曜日に。

2011年3月25日金曜日

どっち!?

こんばんは、木曜日です。
キタです。

つい先日のこと・・・
メトロに乗って座って本を読んでおりましたら、
駅でまぁまぁの人数の人が乗ってきました。
目の前に二人の若い女性、そして横にも若い女性。
その時は座席が全て埋まっていましたので、
前述の女性達は、皆さん立っています。

一応、相手の顔を見て年齢を推測します。
まぁ、私より同年代か若い感じ。

まぁ、そんなんで席を譲るのもどうかと思うのです。
若い女性に譲るってのもなんか、違うかな。と。
同じ年代なら、男も女も同等だろうと。

しかしですね、横に立っている女性が、どうも推測できないのです。
妊婦なのか・・・太ってるだけなのか・・・
妊婦だったら席を譲るべきですが・・・
太ってるだけだったら、失礼ですしね・・・

う~ん・・・
キタは考える。

声をかける。席を譲る。妊婦じゃない。
目の前の女性2人に差別的扱い・・・
そして、その女性にも失礼。

妊婦だったら、紳士的じゃないおれ・・・

何度も、その膨らんでるお腹を凝視するも、
真偽の程は分らない・・・

う~ん。。。

やっぱりこんな時は、黙って立つしか方法はないですね。


日本と違って、こちらの女性は体格が良い方が多いので、
妊婦と太ってらっしゃる方の区別がつきにくいと私は思うのですが・・・
皆さんはどうなんでしょう。
服装以外で判別する方法はないものでしょうか?


そこで、今週の一句。

沈黙は、

  衝突防ぐ

    処世術


では、また木曜日に。

2011年3月18日金曜日

超回復。

こんにちは。
木曜の男、キタでございます。

日本は本当に大変な事になっておりますね。
被災された方、心よりお見舞い申し上げます。
そして、行方不明者が生存されていること、
これ以上余震が起きない事、
また、災害がこれ以上増幅しないこと、
心から心から願っております。

ブラジルでも連日、東日本大震災をテレビで報道しております。
(最近は放射能関連での報道が中心かと思われますが…)
私はよくバール(バー)で昼食をとっているのですが、
その間もテレビには日本の惨状が流れております。

ブラジルは自然災害(人的災害??)というものが洪水位しかなく、
震災や台風が全くと言っていいほど、ない土地です。
なので、バールにいるブラジル人は口を空けた状態で、テレビに釘付けです。
震災の報道が流れると、騒がしく私語をしていたブラジル人も、
話をやめて見入っています。

地震と比べるのも、また被害状況などと比べると規模や性格が異なりますが、
私も過去に8・6水害という、自然災害に見舞われた事があります。
(8・6水害とは?)

床上浸水で家具や電化製品はもちろん、その他全てがあっという間にゴミと化しました。
家族は特に怪我などもなく、命の危険からは逃れられたのですが、
特に大変なのは、災害の後片付けです。
洪水は泥も油もいっしょに運びます。
今回の津波だったらなおさらの事と思います。
生活必需品のほとんどがゴミと化していて、ゴミじゃないものを見つける方が困難です。

それも、洗い流せるレベルではない汚れです。
いや、洗い流したくても、水が出ないのです。
2,3日で水が出るようになったとしても、
風呂を溜めるのに3時間以上もかかりそうな程度の水量しか出ないのです。
(水の恐ろしさと同時に、水の有り難さも感じます。)

災害の翌朝に家の惨状を見て、母は絶望していました。
何から手をつけていいのかも分かりません。
今まで、培ってきたものを一夜で全て失っているのです。
もちろん、そこに住めるような状態ではありません。
近所の人が好意で住まわせてくれましたが、
口には出さないけれど、早めに出なければなりません。
かと言って、出て行くあてもなかなか見つからないのです。

親戚が手伝いに来てくれましたが、
片付けもあるので、遠くにはいけません。
日も暮れてくると光が必要ですが、当然無いのでロウソクの揺れる火を頼りに作業します。
疲れた体で、やっと空いてるホテルの一室に泊まります。
そして、ホテルを転々としながら落ち着かない日々を過ごします。
私たちは、夜を明かせる場所が確保できましたが、
今回の震災では、想像もつかない寒い場所で夜を明かしたりするのでしょう。
きっと、私達が経験したストレスなんて比較にならないと思われます。

街には片付けのゴミが溢れ、異臭を放ち、
車が通る度に乾いた泥が砂埃となり、街を曇らせます。
報道のヘリコプターもうるさくて、目障りに感じます。

放心状態で生活を再建する方法なんて、こんな状態で考えられるハズもありません。

そんな中で、再建が進んだのは家族・友人・知人・他人の存在です。
(私達の場合、2階や3階以上の、浸水していない近所の方が手伝ってくれましたが、
今回の震災は、一帯が被害に合っているようなので、自分の生活さえ確保できない、
ボランティアがかけつけられても、きっと迷惑になるかと思います。)

まずは、汚れてるけど大切な物・大切だけどゴミとなってしまった物を分け、
どんどん捨てていくのです。
家具や本・畳は水を吸って、信じられない位重くなります。それを解体し運び出します。
こんな時に必要なのは力仕事です。
(泥には糞尿も混じっており、なおかつ足場も廃材や散乱した物で、
ケガをする可能性が高くなり、何よりケガをした後の破傷風が一番怖いのです。
薄手のスニーカーなどはもっての他で、ケガをされると余計な心配や作業が増えます。)

ところが、どんなに使い物にならなくても思い出深い物は捨てる事を躊躇ってしまいます。
家主や持ち主は異臭を放つその物を捨てる決断力がありません。
それでも捨てなければ、何も進まないのです。
それを助言する人も必要です。でも、やみくもに捨てられても、
「所詮、他人のモノだと思って!」って悪気がないのは分かっても、そう思ってしまうんです。
写真やアルバムは泥で接着剤を使ったかのようにくっつき、とても元の状態にはなりません。
今までの人生の思い出を写真では振り返る事ができなくなります。
実はこれが最後に一番辛かったかもしれません。

遠い親戚から、友人の友人まで片付けを手伝いに来てくれました。
実際に被災した自分たちが何をしたか覚えてません。
それ位、放心状態でただ黙々と捨てる作業をしていたと思います。
そんな私達を周りがリードして助けてくれたと思います。
そうしなきゃ、呆然と立っていることしかできない状態なのです。
何からすべきなのか、全く考えられないのです。


数ヶ月がたって、生活が落ち着いてきた時に、当時の事を振り返る余裕ができますが、

その考える余地や思い出す余裕が生まれると、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの症状に
それだと知らずに苦しむのです。


今の状況は、まだ行方不明者も多く、命が最優先される状況で、
ボランティアなど役に立てる状況ではないかもしれません。
しかし、復興の時は必ず来るのです。
そんな時、メディアが騒がしくなくなった時こそ、
ボランティアの力が必要になり、役に立ってきます。



このように、簡単には片付けられない自然の猛威ですが、
それでも得られるものは、「人への感謝の気持ち」です。
たくさんの人に助けられ、一人では生きていけないことを学び、
心折れそうな時に、接木になってくれる人の存在です。
これは、本当に将来の自分の人生の糧となる経験です。

日本は言わずと知れた、自然災害の多い国です。
だから、どんな困難にも耐える人格が育ったのでしょう。
海外のメディアは、「なぜ、こんな時に暴動もなく、冷静に、
強奪もせずに助け合えるのだ?」と、
不思議な行動をする民族に驚いており、感動しています。

これは日本人の我慢という、特異な性格だと思います。
それは時にメンドクサイ性格だとも自覚します。
でも、それは世界が驚嘆する程の精神の強さとも言えます。

超回復ってありますよね。
筋トレによって痛めつけられた筋肉は一度壊れますが、
前回の筋トレ開始時より、筋量が増えて回復します。
それを繰り返す事によって、筋量や筋肉は増えて強くなっていきます。

日本や日本人はこの経験によって、前より強くなると信じています。
起こった出来事は、リセットできないけれど、
失ったものは大きくても、未来は今より明るくなるハズです。必ず。

私なんて今の状況で、何もできないですが、
私は今、私にしかできない目の前の仕事を全力で頑張ります。

ブラジルにいる日本人だけではありません。
日系人も応援しています。
ブラジル人も応援しています。

未熟な私が代弁する事が間違っているかもしれません。
巷に溢れてる言葉でしょうが、代わる言葉が見つかりません。

ガンバレ!東北!


ガンバレ!日本!

2011年3月11日金曜日

ブラジルから心配しております。

こんにちは。キタでございます。

太平洋沖地震が日本で発生したと聞いて、
早朝にネットの動画で惨状を調べました。
日本は地震の多い国ですが、マグニチュードの大きさと震度の浅さからして、
大変な揺れだったと想像致します。

日本の皆様、Pindorama読者様、またそのご家族の方、
ご無事を心から祈っております。

弊社の所在地である東洋人街リベルダージでは、
ブラジルの日系新聞であるサンパウロ新聞社から号外がでており、
日系のお店では、店主が店先にその記事を貼り出しております。
そして、おそらく日本人移住者だと思われる方がその記事を食い入るように読んでいます。
(埋め込んだ下の動画はその模様です。)



遠く離れた地で生活する者は故郷の惨状を心配しており、
家族や知人の安否を心配しております。
皆様の無事をKojiro出版スタッフ一同、心より祈っております。

きた

2011年3月10日木曜日

カーニバルが終わって・・・

こんばんは。
木曜の男キタでございます。

ブラジルはカーニバルが終わって、ひと段落といったとこでしょうか?

ブラジル時間の3月5・6日はサンパウロのカーニバル、
3月7・8日はリオデジャネイロのカーニバルでした。
もちろん、この間4連休。
しかも、カーニバルの明けの翌日は昼からというブラジルシステム。

おそらく、祭り明けはゆっくり疲れを取って下さいな。
という「カーニバル愛」を前面に出したスケジュールなのだと思われます。

カーニバル事情を聞いた所、各地でこの期間にカーニバルが開かれるそうで、
「この時期に連休にするからさ、騒ぐならこの連休でね。」という感じだそうです。

そして、テレビでよく見るリオのような
商業カーニバル形式(採点・時間制限・リーグ制)を導入している所は、
他にはサンパウロだけだそうです。

つまり、他の地域で催される昔ながらのカーニバルは自由に踊りながら
街中を練り歩き、観客も自由に参加して踊ったりできるそうです。

さて、こんなウンチクを語ったところで、
木曜の男は未だにカーニバルを一度も直接見に行っていません。
一度は行こうとは思うのですが、カーニバルの開催時間や開催場所を知ったのは、
カーニバルが開催される当日。という体たらくぶり。

実は、私、人込みと騒音が苦手なのです。
えぇ、田舎モノですが何か?

じゃぁ、4連休に何をしてたかと言うと、
洗濯・読書・ネット・買い物・そして、徹夜マージャン・・・

せっかく、ブラジルにいるのに・・・
マージャンって・・・
しかも、負けるって・・・


そんな私の今週の一句。

  イーシャンテン、
 
    ずっと、ずーっと、
  
        イーシャンテン。     

では、また来週お会いしましょう。

2011年3月3日木曜日

木曜の男は、刺青(タトゥー)を考えてみる。

こんばんは。

木曜の男、キタの登場でございます。
相変わらず、弊社のブログ担当は私だけ・・・

ホストが一人しかいないホストクラブ状態ですね。
しばし、ご勘弁を。

さて、タイトルの件ですが、
こっちに来てからずっとその意味について考えております。

昔は私も刺青にとても憧れました。
「なんか、かっけー!!」ってな浅はかなもんです。

しかし、日本は刺青に対してアレルギー反応が強く、
刺青をタトゥーと言い換えて、お洒落にカモフラージュしたとしても、
未だにタトゥー人口はごくわずか。

一方、ブラジルはと言うと、まぁしてるしてる!
老若男女、下手な絵だったり、意味不明な模様だったり、
「兄弟」と腕に彫ってあったり、
「愛」という漢字のつもりが、真ん中の心が抜けた字になってたり、
(真心の無い愛ってなに!?)
「健康力」とか、「交通平和」っていう意味が分かるような分からないような・・・

もう、めちゃくちゃ。
でも、後悔してる感じでもない。
下手な絵でも、堂々と露出して歩いてたりするんです。
日本人みたいにタトゥーを入れた事に後悔する感じが無いのは、
体を大切に思ってないのか、過去を受け入れて前しか見ていないのか・・・
少なくとも、日本人よりはタトゥーにOPENです。

私が昔憧れたタトゥーを未だに彫らないのは、
なんか、不幸せになるような気がしたからです。
体にはなんか、気の流れがあって、その流れがタトゥーによって変わるとか、
お金持ちや成功者で(成金とは違います)タトゥーを彫っている人をまず見ないからとか、
余計な目で見られるのも面倒だし、チャンスを逃すだとか、(見た目で90%を判断されるらしいしー。)
親からもらった大事な体だからだとか、
まぁ、もろもろそんなこんなの合わせ技です。

まぁ、そんなこんなは一旦、置いといて・・・

私が気になるのは、これが心理学で言う自傷行為に当たるということです。
日本で有名なのは、リストカット(手首をカミソリなどで切る行為)ですが
どうやら、タトゥーもピアスも自傷行為に当たるらしいのです。

とするとですよ?

ストレス(失恋・挫折・肉親との死別など)を感じたときにその自傷行為をするしたら、
ブラジル人含む欧米人ってストレスに弱いのでしょうか?
ストレスを感じるハードルが低いのでしょうか?
またはストレスへの対処法の代表的なのがタトゥーなのでしょうか?
(ここで私が言うストレスとは、顕在的なものだけでなく、無意識に感じているストレスもあります。)

なんか、小難しい話をしていますが、
言葉ができたら彫った本人に聞いてみたいんです。
どうして彫ったの?彫る前は何を考えてた?彫ってどうだった?
なんか、ストレスを感じてた?
など、その時の環境も聴いてみたいんですけどね。
10年後には聴けるでしょうか・・・
ポルトガル語頑張らなきゃ。

今、現在の私の見解としては、
結局、タトゥーって彫ってみると強くなった気がするし、カッコよくなった気がするし、
精神的な意味も含めて、強さへの憧れによる衝動って感じがします。

彫ったらカッコよく、強くなれるって思ってしたとしても、
それは、ほとんどが勘違いで終わる。

最終的には「体をムダに傷つけない方がいい。」ってなると思うんですけどね。

まぁ、分かんないです。
ブラジル人を見ているとこんな考え自体も無意味な気がします。

さて、アタマから火が出そうな木曜の男がお送りする、
今週の一句

 左腕、
  なんで右腕と
   彫ってんだ??

では、また木曜にぃー。