2010年4月8日木曜日

ピンドラーマ2010年3月号③<ブラジルの旧宗主国ポルトガル>

<やっぱり気になる!>
ブラジルの旧宗主国ポルトガル

ユーラシア大陸の最西端、イベリア半島の西側一帯を陣取るヨーロッパの小国。ポルトガルは15 ~ 16 世紀、大航海時代の牽引者となり、世界各地の植民地から富を集め、輝かしい絶頂期を迎えた。ポルトガル人カブラルによるブラジル発見もその時代の1500 年で、植民地時代を通じて、大勢のアフリカ奴隷を連れて来ては、金など大量の富を持ちかえっていった。・・・・そんなポルトガルの栄光もかつての話。今となってはすっかり素朴で平和な国というイメージでは?旧宗主国の姿が変わっても、言葉でも料理でもブラジルにとって、やはりポルトガルの影響は大きく、両国は切っても切れない関係にある。
日本にとってのポルトガルは、1543 年、種子島にはじめて鉄砲をもたらした国として印象深い。以降、1639 年鎖国政策によるポルトガル船の来航禁止まで南蛮貿易が行われ、その間「テンプラ(tempero)」、「カルタ(carta)」、「ボタン(botão)」、「襦袢(gibão)」などの外来語も伝えられた。ポルトガルは、日本に「西洋」をもたらした最初の国なのだ!
ところが・・・現在、日本-ポルトガルの直行便はなく、ヨーロッパのハブ空港での乗り換えが必要となる。サンパウロからはポルトガル航空(TAP)で毎日直行便があり、飛行機に乗り込み10 時間もすれば首都リスボンの街に到着する。日本が最初に出会ったヨーロッパを知り、ブラジルをより深く知るためにも、ブラジル在住の日本人ならぜひ訪れたい国である。
ポルトガル初心者の筆者が、2 週間かけて這いまわるように各地を巡り感じた魅力は、
1.初心者が観光しやすい国、
2.公用語がブラジルと同じ、
3.歴史・文化が奥深く見どころ満載、
4.知られざる美食の国。
ブラジルとの関係を探りながら、1~ 3を以下レポートしよう。4.美食の国は、次号4 月号をお楽しみに!

1.観光しやすい国
ポルトガルは、観光客に優しい国だ。国土はわずか日本の4 分の1 という小さな国のため、そもそも国内移動距離が短い。例えば、首都リスボンから北部にある第二の都市ポルトまでは電車またはバスで3 時間半である。電車と長距離バスが国内各地に広がっていて、本数も多く、時刻表も極めて正確。ポルトガル初心者でもわかりやすく、事前の予約は必要ない。現地での気分にあわせて、比較的簡単にどこへでも移動できてしまう。
市内の観光もしやすい。リスボン市内の交通はメトロの他にかわいい市電も一般的で、石畳の道をゴトゴトのんびり走る路面電車は市内観光に絶好。また、リスボンを含め、ポルト、コインブラなど主要都市では、パリやロンドンでも普及している二階建ての観光バス、“Yellow Bus(Hop-On Hop-Off)” が走っている。1 日券を購入すれば、主要な観光ポイントで一日中乗り降り自由、さら
にイヤホンによるガイド8 カ国語オプションに日本語があるのが嬉しい(1 日券大人12 ユーロ)。
時間がない時や小さな街へ出かけた場合はタクシー移動をオススメする。料金が安い上、ブラジ
ル訛り(?)で運転手に話しかければ、「マカオ出身??珍しいアジア人だ!」と興味を引いて盛
り上がること間違いなし。
* マカオ:99 年までポルトガルの植民地。現在は中国の特別行政区。



2.公用語はポルトガル語  ~ブラジル・ポ語との違いは?~
サンパウロからリスボンの空港に着き、見慣れたポルトガル語の標識を見ると、初めての国のは
ずなのに途端に親しみを感じてしまう。当然だが、この国の公用語はポルトガル語だ!
ところが、ブラジル・ポ語とは、発音に加え語彙、文法の違いも多く、ブラジル人であっても理解できないことも多いという。とはいっても、旅行に難しい話をしに行くわけではない。日常会話程度なら十分通じる嬉しさがある。
これ以外にもふとした会話から気づく違いは山ほど・・あとはぜひ現地で体験あれ。ちなみに、ブラジルに帰国して感じることは、ブラジル人のポルトガル語がとにかく抑揚に溢れていること。ブラジル人はそれを“musicalidade” という。日本語では訳しにくいこの表現、“ リズミカル” とでもいうか・・・まさに“ ブラジル語” の特徴を表す表現だ。


☆旅行で学ぼう! ブ・ポ語とポ・ポ語の違い
<発音編>
◎ Bom dia
(ブ)ボン ジーア →(ポ)ボン ディーア
◎ Boa noite
(ブ)ボア ノイチ →(ポ)ボア ノイテ
◎ Verdade(ブ)ヴェルダージ →(ポ)ヴェルダーデ
<単語編>
◎朝食 (ブ)café da manhã →(ポ)pequeno almoço
◎ジュース (ブ)suco →(ポ)sumo

◎メニュー(ブ)cardápio →(ポ)menu / carta
◎バス (ブ)ônibus →(ポ)autocarro
◎電車 (ブ)trem →(ポ)comboio
<フレーズ編>
◎いいよ/ OK 
(ブ)Tudo bem →(ポ)Está bem
◎さようなら/じゃあね 
(ブ)Tchau →(ポ)Adeus
※使わないフレーズ: A gente(私たち)、legal(かっこいい)など・・この表現は、すぐにブラジル在住とばれてしまう!


3.歴史・文化の見どころ ~ブラジルとの関係を探ろう~
ポルトガルは、紀元前から歴史が残り、ローマ帝国の支配、中世にはゲルマン系ゴート族、イスラム勢力の進行、レコンキスタを経て、12 世紀にポルトガル王国が成立している。そして、大航海時代、帝国の衰退、ナポレオン軍の侵攻・・・と長い歴史を持つ。行く先々に名所旧跡、博物館、教会・・と見どころは絶えないが、サンパウロから訪れるのであれば、ブラジルとの関係を探る旅
にこだわってみよう。

【国立古美術館(リスボン)/ ソアレス・ドス・レイス国立美術館(ポルト)】
両館にある「南蛮屏風」は1600 年前後、桃山時代に作成されたものである。描かれているのは、
南蛮船の入港、荷降ろしの風景、ポルトガル人の行列、それを眺める日本の庶民、ポルトガル人の
船長や要人が日本人高官を訪問する場面などである。当時の風俗習慣-住居、船、衣服、動物など双方の姿が描かれていてとても興味深い。
そこで、注目したい点がある。いずれの屏風もよく眺めると、ポルトガル人日本人に混じって、大勢の黒人奴隷が描かれている。船上で操帆するもの、荷物を陸揚げするもの、ポルトガル人高官にパラソルをかざすもの、象や孔雀、ラクダなど珍しい動物を引き連れているもの・・・数えきれない奴隷が長崎の地に上陸している。
屏風が描かれた1600 年前後は、ブラジルが発見されてたった100 年の頃、今の「ブラジル人」というカテゴリーがまだ存在していない頃である。屏風に見られる黒人奴隷は当時ポルトガル人がアフリカから連れだした奴隷であり、もしかしたらブラジルに連れて来られていたかもしれない奴隷である。ここに描かれるポルトガル人もブラジルにやってきていたかもしれない。日本とブラジル、全くつながりのない時代であるが、南蛮屏風から日本・ポルトガル・ブラジルというトライアングルが見えてくる・・こうして観賞するのもまた楽しい。ある研究者によると、これら南蛮船は帰途の際、数多い日本人も奴隷として乗船させ、一部ははるか南米の地まで連れて来られていたという信じがたい記録も残っているそう・・・なんともゾッとする歴史である。



【サン・フランシスコ教会(ポルト)】
世界遺産であるポルト歴史地区にそびえ立つ、14 世紀初頭に建てられた教会。荘厳なゴシック
様式の外観に相いれず、教会内部のバロック装飾は驚くほどゴージャス。祭壇、壁、天井、柱・・・
全てに細かい彫刻が施され、ほぼ全面に金箔が貼られている。この金箔こそ、植民地ブラジルから
運んだ金で、総重量は200 キロとも500 キロとも。サルバドールのサン・フランシスコ教会、オーロプレットのピラール教会に勝る金ピカ教会だ。ブラジルからはるか離れたポルトガルの教会を黄金に塗り替えるとは・・・宗主国ポルトガルの絶大な権力を感じる。さらに見どころは、長崎26聖人をまつった祭壇の他、多くの聖人彫刻の中で、中央祭壇に向かって左の柱にひっそりと佇む黒人の聖人である。ブラジルでも人気が高い、イタリア生まれのアフリカ系、São Benedito だ。

【海洋博物館(リスボン)】
リスボン・ベレン地区ジェロニモス修道院の西端に位置する博物館。入口を入るとエンリケ航海
王子の巨像に迎えられる。先に進むと、大航海時代の船の模型や航海道具、当時の航路を描いた歴史地図など数多い展示が続き、ポルトガルの輝かしい過去の栄光を垣間見ることができる。
別棟の天井の高い空間には、数体の船の実物展示があり、出口そばには1922 年リスボンからリ
オデジャネイロまで初めて南大西洋横断飛行に成功した「サンタ・クルス号」が展示されている。
脇に設置された少し高い見学台からは機体を上から眺めることもできる。この小さな機体が、当時
の首都リオの地に降り立った瞬間に想いを馳せてみよう。

〜おまけの話〜
今年2010 年は「日ポ修好150 周年記念」の年です。ペリーの黒船来航直後、鎖国を続けていた
日本は開国を迫られ、アメリカ、オランダ、イギリスなどに次いで日ポ修好通商条約を締結したの
が今から150 年前の1860 年。一年を通じて、ポルトガル各地で日ポ記念行事が目白押しです。ご
旅行の際は、ぜひ事前に調べてみては?!
→「日ポ修好150 周年」イベント情報:在ポルトガル日本国大使館HP 内参照

参考文献:
「ポルトガル日本交流史」1992 年初版 彩流社
「ブラジル学入門」1994 年 中隅哲郎著 無明舎出版
「BIOMBOS NAMBAN」1993 Instituto Português de Museus ほか

筆者 山本綾子(やまもとあやこ)
お茶の水女子大学卒(生活文化学専攻)
旅経験30 ヶ国 ブラジル在住

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