2010年5月10日月曜日

ピンドラーマ2010年4月号その1

ピンドラーマ2010年5月号がでましたので、先月号をアップします。
5月号からJALの機内とラウンジでご覧いただけるようになりました。




<ブラジルを撮る!!>


《機体全体に多数の署名が施された飛行機。何らかのイベントに使われたと推測される》
撮影場所:ブラジリア国際空港
写真:伊東 信比古

<移民の肖像>
【グァマ移住地に留まり続けた渡部リツ(わたなべ・りつ)さん】

パラー州ベレン近郊のサンタ・イザベルからトメ
アスーに向かう舗装道路を車で走ること約20 キロ。道路の東側にあるグァマ移住地内の高台に、今も住み続ける渡部リツさん(86歳、福島県出身)を訪ねた。
1957年、福島県内で川が氾濫し、渡部さん家
族ら9家族が持っていた畑が水没の被害に遭った。夫の徳次さん(83年、69歳で他界)は当時、西会津でバスの運転手をしていたが、道路決壊で路線を通ることができない状況に陥った。
その頃、町役場や県庁では率先して「グァマ移住地」への米作移民の勧誘を行っており、「どうにもしょうがないのでブラジルに行こう」と徳次さんが決めた。
親の反対を受けたリツさんだが、「旦那がブラジルに行くというなら従わざるを得ません」と姪を構成家族に入れ、子供3人も一緒に連れて移住した。56年10月末に「あめりか丸」で神戸を出発。混沌とした船旅が続き、同年12月第2次移民としてグァマ耕地に入植した。リツさんが33歳の時だった。
耕地に入って驚いたのは、河からの水が上がってくることだった。
「日本で聞いた話と全然違う」。渡伯を前に福島県の地元町役場壮行会が開かれた際、外務省職員がグァマ耕地の話をしていた。「とにかく、幅の広い河で米作りができる。河は土手が築いてあり、耕地の境には水門もできる。田んぼに水を入れたい時に水門を開け、土手を築いたところには道ができている。本当にあなた達は恵まれた人達ですよ」と。
しかし、現場に来てみれば「田んぼに水を入れる」どころの話ではない。雨期の2、3月になるとロッテ全体が浸水する。
「入植当時、何回泣いたか分かりません」—。容赦ない自然環境に、ただ生きるのが精一杯の状況だったという。
その頃の唯一の楽しみは、婦人同士で集まって話をすること。娯楽がほとんどない中で、河で釣ったピラルクーの料理法などを覚えた。
「旦那連中は集まればすぐにピンガで一杯となるけれど、女性達は家事もあったしそういう訳にはいきません。今となっては、懐かしい想い出と思うしかありません」
肝心の米は、樹木を伐採、山焼きをして片付けたところに少しずつ陸稲を蒔いていった。
第1次入植者が同地でキャベツを作って出荷しているのを知り、「自分たちも百姓の経験がある」と見よう見真似でキャベツ作りに励んだ。
雨期は米づくり、乾期はキャベツ生産の日々が続いたが、キャベツは生産過剰により、すでにベレンでは売れなくなっていた。トメアスーまで船を借り切って野菜類を持って行った時、同地はちょうど、ピメンタ(コショウ)景気に沸いていた。ピメンタの収入により、新品のカミニョン(トラック)を買ったという話を聞かされて、渡部さん家族の心は動いた。
トメアスーからピメンタの苗を1千本ほど購入し、ブラジル人から移住地内の他の耕地を購入。「我々にもピメンタ栽培ができないこともなかろう」と9家族が一緒に低地を出て心機一転を図った。しかし、肝心のピメンタは枯れて実らず、渡部さん以外は他の耕地へとさらに転住して行った。
結局、渡部さんは現在の移住地内の高台に移ってからは40年以上、ピメンタを植え続け、そのほかに養鶏、レモンやパパイアなどの果樹類、野菜類も栽培している。
「私らは結局、どこにも動けなかったんですよ」と笑うリツさんだが、地道な生産活動が生活を支えてきた。
リツさんは約40年前から趣味で短歌を始め、6年ほど前からはベレンの俳句会にも顔をだすなど、生活にも余裕ができてきた。夫に先立たれ、2002年には不幸にも次男の佳男さん(当時54歳)が事故死している。
「(グァマ耕地に入った時からの)生活のことや子供のことなど、自分の思ったことを日記代わりに短歌にして綴ってきました」というリツさんは、それを基にした俳句を作って応募。今年のNHK俳句大会で「海外作品賞」を受賞した。
「移民史を一人ひもとく星月夜」
辛苦を舐めながらも人生の大半を過ごしてきた土地に、今は大きな愛着を感じている。

松本 浩治(まつもと こうじ) 在伯14 年。
HPサイト「マツモトコージ写真館」
http://www.100nen.com.br/ja/matsumoto/


<ブラジル面白ニュース>
〜ブラジルの大富豪の行動様式〜


ブラジルに住んでいると激しい貧富の差を見せ付けられることが多いのですが、今回は私たち一般庶民にはほとんど縁のないブラジルの金持ちに関するニュースを見つけました。

「あの高級車を乗り捨て??」

ミナス・ジェライス州ノヴァ・リマ市で3 月7 日夜、同州道沿いに超高級イタ車、シルバーのフェラーリが乗り捨てられているのが発見されました。フェラーリはどうやらハンドル操作を誤ったらしく、市内にかかる橋の中央分離帯に激突し大破した状態。
ミナス・ジェライス州道路交通警察によると、運転者は衝突事故の後から姿を消しているとのこと。近くの病院に怪我人が搬送された記録はなく、盗難や強盗の可能性もあるとみていました。

「気になるフェラーリのお値段」

さて、警察により、車両のナンバープレートからフェラーリのオーナーの割り出しが行われました。ナンバープレートはサンタ・カタリーナ州で登録されているもよう。
警察はフェラーリのモデルを発表しませんでしたが、新車のフェラーリ・612 スカリエッティで平均250 万レアル(約1 億3 千万円)もするスポーツカーを買えるような人ですから、私のようなミドルクラスの人間からしたら、想像を絶する大富豪!
「持ち主は誰だ?」とみんなが興味津々でいましたが、数日後、オーナーの代理人を名乗る人物が警察に現れました。

「新車1 台分の借金を清算中」

オーナーはエンジニアのドウグラス・アギアールさん。フェラーリ5 台のほか、ポルシェ、ランボルギーニなどを所有するサンタ・カタリーナ随一のスポーツカーのコレクターです。事故を起こしたフェラーリは2005 年モデルで、3 年前にある企業から購入しました。
さて、事故現場から姿を消したドウグラスさん、実は、犯罪に巻き込まれたわけではなく、怪我の治療をしていただけ。そして、事故後、120 万レアル(約6300 万円)と評価されたフェラーリですが、ドウグラスさんの代理人いわく、2010 年のIPVA(自動車税)や強制保険など合計7万レアル(約360 万円)が未払いで車両を引き取ることができず、現在、その借金を清算中とのことでした。7 万レアルといえば、それだけで新車のホンダCIVIC やトヨタCOROLLAが買えそうです・・・・・・
ちなみに、このフェラーリ、ミナス州ベロ・オリゾンテ市郊外に住む大金持ちに売却されたばかりの時に事故を起こしたようです。ついでにいうと、事故当時、任意の民間保険もありませんでした。
スポーツカーを何台も所有していることもすごいですが、ミリオン単位の高級車を乗り捨てたり、私が何年かかっても絶対買えないぐらいの新車相当分の借金を払ったりするところ、ブラジルの大富豪の金銭感覚は理解が難しいです。

筆者 門脇 さおり 島根県出身。会社員。2 児の母。






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