2012年3月29日木曜日

人情は消えたのか?

みなさん、こんばんは。

先週は酔いに任せて不時着してしまいましたが、
本州と四国を合体させた面積が、
サンパウロ州と大体同じでごわす。
ってことが先週、言いたかった事のようです。どうやら。

さて、今宵はシャキッっとお送りさせていただきますのが、
私、木曜の男ことキタでございます。

時々、ブラジルで日本人に尻アウト知り合うと、
必ずと言っていい程、出てくる会話があります。

「いつブラジルに来たの?」

「いつまでブラジルに滞在予定?」

「なんでブラジルに来たの?」

きっと異国の地であれば、どこでも交わされる会話なのでしょう。

長くいればいるほど食傷気味の質問にはなりますが、
確かに、初対面の話の糸口にはピッタリな質問でございます。

しかし、この3つ目の質問(「なんでブラジルに来たの?」)に
次の回答を聞く事が数回ありました。

「もう、日本はダメだから。
 古き良き日本と日本人はもういないから。」

それは決まって、20後半から30前半の
若者移住者、または移住希望者の比率が多いような気がします。

よくよく聞いてみると、
日本人は冷たい。
昔みたいな人情がない。(一体、昔をどれ位知っているのか…)

というのが、抽象的ですが、理由だそうです。

私は鹿児島という、田舎の出身です。
田舎から東京に行った人も、
「東京モンはちんたか(冷たい)。」
なんて、聞くことがあります。

なぜなんでしょう?
だって、東京ってほとんどが田舎から集まって来ている人で構成されているでしょ?


そこで、ちょっと心理学や社会学のお話になりますが、お付き合い下さい。
一つに、情報量の氾濫が要因と考えられているそうです。
確かに、今は情報化社会で田舎でも多くの情報は手に入りますが、
都会になればなるほど、その総量は多くなります。
アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムによれば、
そのような状況を過剰負荷環境と呼ぶそうです。

人間はその過剰負荷環境下では、膨大な情報の中から
必要なものだけ取り入れ、他は無視するという行動を取るそうです。
(※ここで言う膨大な情報とは、メディアやネットだけではなく、
人を直接介して伝わる情報も含まれると思います。)

ですから、自分と関係ないコミュニケーションを最低限に抑え、
結果的に冷たい印象を相手に与えてしまうそうです。

そして、この過剰負荷環境下で順応するには以下の4つの方法があります。

①短時間処理
最小限の情報だけを伝え、短時間で処理し、相手との接触を極力避ける。

②情報の排除
重要でない情報は無視し、都合の良い情報は取り入れる。

③責任回避
問題が起きても、人のせいにしたり、他力本願で自分から動こうとしない。

④他者の利用
他人との個人的な接触はできるだけ少なくし、
自分から誰かに連絡を取るようなことはしない。

私もギクリとしますが、私の他にも心当たりがある方もいるかと思います。

※余談ですが、引きこもりやニートの方々は部屋の外や社会に
過剰に負荷を感じる環境にいるか、または敏感すぎるのではないかと、
木曜の男は思えてきました。

さらに、カナダの社会学者アーヴィング・ゴッフマンは、
このような行動概念を、儀礼的無関心と名づけ、
またこの概念は都市部の人々に多く見られるため、
市民的無関心とも訳されているようです。
親しくない関係の人たちとの不要な関わりを排除するために
あえて儀礼的にふるまい、無関心を装うというもので、
これは暗黙のルールとして認知されています。
例を挙げるなら、他人との視線を逸らすために、
満員電車内やエレベーター内で天井を見たりしますよね?
この行動によって、過密な状況でも公共性を保たれてるのだそうです。

肝心な事をもう一つ、
上記のに該当するんですが、
バイスタンダー・エフェクト (傍観者効果) というものがあってですね。
分かりやすく言うと、

誰かがトラブってても見て見ぬふりをしちゃう
ってことです。
友人も東京で経験したそうです。(中国でもヒドイのがありましたね。あの事件。)

よく、こういう状況で
「都会モンはちんたか。(都会人は冷たい。)
「まっこて、人情っちもんがなか。(本当に人情ってものがない。)
と感じるケースが大半だと思います。

ですが、試しに
傍観者の人数によって救助する率が変化するかどうか?
ってのを調べた実験では、
傍観者が少ない時ほど、人は救助活動をする。
という結果が出たそうです。


つまり、傍観者が大人数だと、
「自分が助けなくても、誰かが助けるだろう。」という、

責任の分散が起こる事が分かったそうです。

※ちなみに、震災などの状況で都会にも助け合いが生まれたのは、
皆が被災者であり、当事者という感覚が生まれていたため、
傍観者効果は生まれなかったと私は考えます。


カッコ良さげな言葉をつらつらと述べていますが、
これらは私が持っている本からの抜粋に私見を加えたものでございます。
※参考図書/面白いほどよくわかる!心理学の本 著/目白大学教 授渋谷昌三

まぁ、これらの本を持ち出して何が言いたいかと言うと、

鹿児島に来た、鹿児島の離島出身の人達は、
「本土の人達は冷たい。島がいい。」と言う。

東京に行った鹿児島県の人達は、
「東京の人達は冷たい。鹿児島がいい。」と言う。

ブラジルに来た日本の都会の人達は、
「日本人は冷たい。ブラジルがいい。」と言う。

でも、サンパウロに来た、ブラジルの田舎の人達は、
「サンパウロの人達は冷たい、田舎がいい。」と言う。

まとめると、
人口過密度が大きくなればなるほど、人は冷たく感じるのだ。
長年サンパウロに住む日本人移民者も、最近のサンパウロの人達は冷たくなった感じがする。
って言ってる位だもの。

んで、冒頭のような事を思ってる他の人にも謹んで高らかに申し上げ奉る!



人情がない??


もっとちゃんと見なはれ!




それでも見えないなら、田舎に行け!





最終手段では島に行け!
(鹿児島の奄美もいいよ。おれは屋久島も甑(こしき)島も与論島も好きだよ。)  おいおい…。宣伝かよ・・・。



結局、人情がないって感じるのは人口が集中した弊害だし、
過疎と高齢化が進んでる田舎に人が分散できれば、地方が伸びる。
(空気もキレイ、ごはんが旨いし、生活費も安い。)
不便を感じる所に行けば行くほど、人情も見え易くなるし、感じやすくなる。
そして、日本は全体的に優しくなれるはず!いいことづくめ。


だと思うんですけどぉー。




では、田舎からサンパウロに進出した木曜の男がスッキリした所で、一句。


     埋もれたら

       見えにくいよね

          確かにね。



では、また来週の木曜日にお会いしましょう。

月刊ピンドラーマ68号(2012年2月号)はこちら。

Pindorama のバックナンバー

楽々サンパウロの表周りと目次はこちら。


今回は、おもしろくないって私は思う。↓↓↓

0 件のコメント: