2010年5月12日水曜日

ピンドラーマ2010年4月号その3

<観光>
エコツツリズモを満喫!!ボニート BONITO


約20 万平方kmの広さを誇る世界最大の湿原パンタナール。パンタナールは北部と南部では異なった表情を見せるが、そのパンタナール南部に位置する町ボニート(ポルトガル語で「美しい」という意味)は、その名の通り美しい自然が残された所だ。中でも、透明度の高い美しい川と湖、洞窟や岸壁などの自然美が有名で、近年エコツーリズムの場所としてブラジル国内外から多くの人を魅きつけている。

◎美しく澄んだ清流で川下り


 ボニートの魅力は湧き水を源水とするその驚くほど透明度の高い川だ。水の透明度の秘密は、この地域の川に豊富に含まれている石灰岩が水の汚れを濾過し、浄化する作用があるため。

ボニートには世界有数の透明度を誇る川が多くあり、好みに合わせて川やコースを選ぶことができる。中でもお勧めのコースはスクリ川 Rio Sucuriでシュノーケリングをしながら川を下るフローティングツアー。ウェットスーツ、水中メガネ、シュノーケルを着用して、ゆったりと流れる渓流に浮かびながら川を下っていく。澄み切った川の中に、現地の淡水魚ドラード、ピラプタンガ、ピアウ、パクー、コリンバス、ピンタードなど、まるで水族館のように色鮮やかな魚の群れを間近に観ることができる ( コース:約2Km/ 所用時間:1 時間)。
ほかにも、自転車をレンタルして大自然の中をサイクリングしたり、馬に乗って草原をのんびり散歩したりと、自然と親しむ様々なオプションが用意されている。


◎神秘的な輝きの「青の地底湖」


ボニートの町から西に約20 キロの所にある「青の洞窟」Gruta do Lago Azul は、自然に出来た鍾乳洞なのだが、洞窟の奥に水が溜まってできた地底湖があり、それが日光を反射して鮮やかな青色に輝くことで有名な場所だ。この洞窟は1924 年に先住民に発見されたもので、洞窟の入り口からの深さは70 メートル、広さが120 メートル、その奥に石灰石の白壁に囲まれた美しい地底湖がある。




資料提供 サービス・グローバル


バリスタの淹れる一杯がブラジル・コーヒーを変える
<第9回ブラジルバリスタ選手権レポート>


一杯のコーヒーだって美味しく淹れるにはコツが要る。カフェ版バーテンダー“ バリスタ” が技を競うブラジルバリスタ選手権が9回目を迎えてこの3月にサンパウロで行われた。
このイベントは、ブラジルコーヒー・バリスタ協会(ACBB)が、毎年開催するもので、4日間にわたって4種の競技が行われた。
競技は、エスプレッソにクリーミーなミルクを注いでカフェラテの表面に模様を描く“ ラテ・アート”、ウィスキーベースのアイリッシュコーヒーと、アルコールとコーヒーをベースにオリジナルドリンクを作って競う“ コーヒー・イン・グッド・スピリッツ”、1つだけ味の異なる3カップのコーヒーを1セットとして、8セットのテイスティングの正確さを競う“ カップ・テイスター” そして“ バリスタ” の4つの部門だ。バリスタ部門では、制限時間の15 分間に競技者のバリスタがそれぞれ4杯ずつ淹れたエスプレッソ、カプチーノ、オリジナルドリンクを6人の審査員が採点する。クリームのきめ細かさ、味、見た目に加えて、バリスタの立ち居振る舞いやエスプレッソマシンの使い方などが採点のポイントだ。競技は真剣そのもの。出場回数を重ねている者は、流れるような身体さばきで振る舞い自慢の腕前をアピールしたが、緊張のあまりに手先が震えて、思うようにコーヒーを淹れられず涙する競技者もあった。
会場となったメルカード・ムニシパルの特別展示場は、関係者や応援に駆け付けた出場者の友人・家族、あるいは買い物帰りに立ち寄った人で、連日盛況であった。

◎コペンハーゲンで腕を磨いて

さてイベントの目玉、バリスタ部門で今年見事に王座を手にしたのは、サンパウロのカフェ、スプリシーのヤラ・カスターニョさん。実は昨年も優勝しているディフェンディング・チャンピオンだ。今年6月にはロンドンで開催される世界選手権にブラジルを代表して出場する。昨年の18 位の成績を上回れるか業界関係者は期待している。
ヤラさんは以前にスプリシーで働いていた姉の影響で、店員として勤めていたスケートショップを辞して5年前にコーヒーの世界に入った。現在は腕に磨きをかけるべくコペンハーゲンのカフェ、エステート・コーヒーで短期研修中だ。なぜコペンハーゲン? と思いきや、バリスタ世界選手権の過去の結果に目を通すと、デンマークは4人のチャンピオンを輩出している歴代最多優勝国なのだ。
今年バリスタ部門には、国内各地のカフェの名店に勤める27 人の競技者が参加したが、ヤラさんは、なかでもひと際落ち着いて競技に臨んでいた。それもバリスタ先進国で修行する成果と自負ゆえかもしれない。

◎ワインにソムリエ、コーヒーにバリスタ 

そもそもバリスタという言葉自体、まだ広く知られていないが、世界選手権も初回開催が2000 年と日が浅い。世界選手権の予選にあたるブラジル選手権は、2002 年から行われているが、ACBB が発足したのは2005 年だ。
ACBB は、高質なスペシャルティー・コーヒーのブラジル国内での普及を目的に、業界関係者たちが発足した団体だ。従来、国内市場で販売されるコーヒー豆は、輸出用に比べて品質の劣るものばかりであったが、90 年代の経済自由化、経済回復に後押しされた食のグルメ化と、世界のカフェブームの影響を受けて国内でも高品質の豆が流通し、求められるようになってきている。
高級ワインの世界にはソムリエが、おしゃれなバーには巧みなバーテンダーがいるように、コーヒーを淹れる専門家バリスタを養成することで、スペシャルティー・コーヒーに付加価値を加えることができる。ACBB は全国選手権のみならず、国内5都市でバリスタ地方大会を主催するのに加えて、年を通じてテイスティングのワークショップやバリスタ育成コースを、各地で盛んに行っている。

◎伸び代の大きいグルメ・コーヒー産業

 ブラジルはなにせ世界最大のコーヒー生産・輸出国だ。その座は160 年間にわたって守られている。長らく質より量に重きを置いて世界市場を左右してきたが、経済成長著しいいま、その成長に比例してコーヒーはますます高品質化、ブランド化していくだろう。これまでブラジルのコーヒー豆が海外で高い評価を得ることはあったが、これからはサンパウロで飲むコーヒーが美味しいと世界が注目する時代が来そうだ。あるいは既にそのように認識され始めているかもしれない。
日々の息抜きに一杯のコーヒーを喜びとしている身として、この産業の成長は嬉しい。




<ブラジル美術の逸品>




【ラザール・セガール 「モッホ・ベルメーリョ ( 赤い丘)」】
1926 年 カンヴァス 油彩 115 x 95 cm サンパウロ、個人蔵
Lasar Segall “Morro vermelho” Coleção particular, São Paulo.

「ブラジルが私に光と色の奇跡を見せてくれた」( ラザール・セガール)


黒い肌をしたアフリカ系ブラジル人の親子が、西洋美術に見られる聖母子像をイメージしていると言われると、先入観から少し違和感を覚える。確かに、聖母子が白い肌でなければならない理由はない。神秘的というよりは、日々の現実の姿が浮き彫りにされたようなラザール・セガールの『赤い丘』に、西洋の伝統と強い社会的危機意識に裏打ちされた20世紀初頭のドイツ表現主義*の世界が錯綜する。 

赤土色のレンガを積み上げた家々が斜面を覆う景色は、今もブラジルを代表する風景の一つに違いない。ヤシの木が立ち並ぶ間でシンボリックに描かれた簡素な住宅街の背景は、社会格差の大きいブラジルであっても、同じ人間の生活が営まれていることを思い出させる。
セガールが若いころから好んだ作品のテーマに「マテルニダーデMATERNIDADE(母性)」がある。自らの出自であるユダヤ人の移動の歴史や社会で日の目を見ない人々の嘆きの心の中にも、母子の絆だけは人類全てに光が灯されると信じたヒューマニズムの精神が感じられる。
セガールの同胞であるユダヤ人は、19 世紀後半には帝政ロシアでポグロム(集団的迫害)を受け、1930 年代にはナチスが台頭するドイツで迫害の危機が迫った。1910 年代のドイツで表現主義運動に加わり創作活動を行っていたセガールは、ヨーロッパ各地で展覧会を開催していたが、1938 年にはナチスによって彼の作品は多くが破壊された。「人を喜ばせるためではなく、自らの心を表すために描いている」と晩年に語ったセガールは、ヨーロッパで魂を奪われたような思いをしただろう。 
1930 年代には東欧に暮らしていたユダヤ人がブラジルにも集団移住し、1927 年に帰化していたセガールも、後半生はブラジルで芸術活動に専念する。一度はヨーロッパで悲しみに打ちひしがれたセガールの心は、再びブラジルで命の輝きを取り戻した。代表作の名画『移民船』もブラジルで生まれた。生死を隣り合わせに生きる人々、ヨーロッパの同胞たちを思うと、ブラジルで生き続けること、自らの心と向き合える暮らしが再び訪れることは奇跡だった。

社会や人の心の奥深くを見つめながらブラジルの美も称えたセガールの作品の中で、『赤い丘』に表された世界でも類を見ない描写は、人種や民族の壁をこえて人類が大切にすべきものを訴え続けている。

★ラザール・セガール (1891-1957)
帝政ロシア時代に現リトアニアの首都ビリニュスでロシア系ユダヤ人の家庭に生まれる。ドイツ・ベルリンの美術学校で学び、ドレスデンで表現主義運動に加わり大きな影響を受ける。1913 年に初めてブラジルを訪れ、ブラジル初と考えられている近代芸術展を開く。1925 年にサンパウロ生まれのロシア系ユダヤ人ジェニー・クラビンと結婚、1927 年にはブラジルに帰化する。以後もヨーロッパとブラジルを往復しながら芸術活動に献身し、ブラジル芸術の近代化や幅広いジャンルの芸術活動にも尽力した。現在、サンパウロ市の自宅兼アトリエだった場所が美術館になっている。

【Museu Lasar Segall】
Rua Berta,111-Vila Mariana ℡ :5574・7322
* '10 年代のドイツで若者を中心に、思想や文芸などにおいて、権威主義的伝統や秩序に基づく価値観などに対抗した。

筆者 おおうらともこ



<摩訶不思議なブラジル経済>
~金利上昇へ~


年間金利が41.9%と聞いて高いと思うか、低いと思うか? もちろん日本人にとって法外な金利と感じるのが普通である。日本では2006 年に出資法の上限金利が20%に引き下げられたが(実際の施行は2009 年から)、日本のあの悪名高いサラ金でもそれまでは29.2%の出資法上上限金利(いわゆるグレーゾーン金利)が最大であり、利息制限法の規定では従来から10 万円以下の貸出については年20%の金利が最大であった。それを考えるとこの41.9%はあり得ない金利であるが、この数字はブラジルで今年2 月に記録した個人向け貸出の平均的な金利水準である。これは現在のブラジル通貨レアルが導入(1994 年) されてから集計した中で歴史的に一番低い水準なのである。因みに法人向けの貸出金利の平均的な水準は2 月が25.9%で1 月は26.5%とこれまた低下している。
この金利低下の主因は貸出をする銀行の資金調達コスト(SELIC 金利)が下がったことが最大であるが、それ以外に所謂「デフォルト」率という借金を返済できなくなり債務不履行になる確率が下がってきたことにより銀行の損失・負担が減り、銀行が金利を下げることが可能になったことも背景にある。昨年8 月には個人向け貸出のデフォルト率が5.9%であったのに対し先月は5.3%に低下している。したがって、銀行の資金調達コストが不変にもかかわらず銀行が貸出金利を下げることができたのである。デフォルト率が下がっているのは、やはりブラジルの景気の良い証拠でもある。
しかしながら、高金利世界ナンバーワンの汚名を返上したブラジルであるが、これから今年の後半にかけて金利が大幅に上昇するというのがもっぱらの市場の見方である。今年1 月からのインフレ率も消費者物価指数の代表であるIPCA が0.75%(1 月)、0.78%(2 月)、卸売物価指数の代表であるIGP-M が0.63%(1 月)、1.18%(2 月)と高水準で推移している為の対応である。ブラジル政府はIPCA を年間で凡そ4.5%に抑えたい意向があるので現在のペースでいくと7 カ月間以内に4.5%を超えてしまう計算である。

今後の金利の上昇については年末には政策金利であるSELIC 金利(現在は8.75%)が12%前後まで上昇するとみるのが一般的である。一方で金利が上がったとしても銀行からの貸出の総金額自体は今後も増加すると見られている。現在の貸出は2 月に14.4 億レアルを記録し、これは凡そ国内総生産(GNP)の45%程度に相当するが、年末には49%程度まで増加し、年間で20%程度増加するとブラジル中央銀行は予想している。
政策金利が上昇すれば消費者や企業への貸出金利が上昇するのは避けられないと思うが、政府系のBanco doBrasil やCaixa Econômica は出来るだけ金利は上げない様に努力するとコメントしているが如何であろうか?何れにせよ、今後ブラジルの金利が上昇するのは間違いないので借金の多い人は気を付けて欲しい。
最後に3 月24 日にブラジル中銀は外貨規制について興味深い発表をしている。この影響を今後多少分析してから詳しく説明したいが、我々に影響がある点として、ブラジル企業が海外から借入をした場合に今まではブラジル中銀に返済計画等を登録する必要があったがこれが不要にな点、ブラジルにおける外貨両替・海外送金等の業務が既存の銀行以外の金融機関もしやすくなる点である。興味がある方はブラジル中銀のサイトや新聞等を注意して見て欲しい。


筆者 加山 雄二郎(かやま ゆうじろう) 大学研究員。


<ブラジル社会レポート>
~ブラジルのファストフード~


サンパウロ市に「すき屋」がオープンしましたね。日本でおなじみのメニューだけでなく、ブラジル人の嗜好に合わせたメニューがあるようです(まだ行っていません)。「働くために食べる日本人と違って、ブラジル人は料理を味わうために働くんだ」と言われていたブラジルですが、ファストフード市場はどんどん拡大してゆきそうです。
そのファストフード・チェーンですが、ブラジル国内では大別すると、外資系と内資系があります。外資系といえばマクドナルド、内資系といえばBob’s が、東西の横綱でしょうか。日本の味を届けるという意味では、サンパウロ市内の一部のラーメン店もいわば日本のラーメン店の「系列」の味を保っていて、日本のファストフード店の「進出」といえなくもありません。そうした国際展開において、「味をどうするか」には、2 種類の対応があります。ひとつは、「すき屋」のようにブラジル人の嗜好に合わせたメニューを置くもの、もうひとつは、マクドナルドのようにかたくなにワールドワイドを重視するケースです。
外資系でネイティブ化したメニューを用意する「すき屋」のようなケースは、実は小数派です。なぜなら、ブラジル人はそこに「ブラジルに無い味」や「その国に行くと食べることのできる(本物の)味」を求めていることが多いからです。これに対してBob’s は、自社の強みはブラジル人の嗜好にあった味付け、柔軟に組み合わすことができるメニュー構成にある、と主張しています。私などは単純な人間なので、外資系の主張を聞けばなるほどと思い、内資系の主張を聞いてもうなづいてしまうわけですが、恐らく、味やメニューとお店の人気の関係は、単純ではないと思います。

例えば、世界的には一定の成功を収めているKFC は、ブラジルでは成功していません。ケンタッキーフライドチキンと呼ばずに当初からKFC として進出したのは、「ブラジル人はケンタッキーフライドチキンと発音できない(覚えきれない)から」だそうで、「ネーミングが悪いのが諸悪の根源」という意見もあるわけですが、個人的には、そもそも鳥の唐揚げ、というカテゴリーに無理があったように思います。単に肉といえば牛肉を意味する大阪同様(ちなみに豚肉は豚と呼ぶので大阪では肉まんは存在せず豚まんと呼ばれます。そして肉じゃがは牛肉です)、ブラジルでも肉=牛肉。私自身を振り返っても、外食(でお金をかける)なら牛肉ではないでしょうか。反対にビールが主役になっておつまみ、というなら安い鶏肉(鳥カラ:フランゴ・ア・パッサリーニョ)という意識です。KFC の不人気は、盛り場になれない国際チェーンのしがらみではなかったか、と「すき屋」の戦略を見て思うわけです。それに鶏肉のテイクアウトという点では、フランゴ・アッサード(鳥の丸焼き)が、家庭で再現できない料理(調理技法)として定番化しています。
ほかにブラジルに進出したファストフードといえばサブウェイもあります。いちいち何を挟むのか伝えなければいけない方法に、ポルトガル語ができなかった当時の私は閉口したものです。対話をしながら完成されてゆくサンドイッチを見て、「ぜんぜんファストフードになってないよ」と泣いたのはここだけの話。
そういった余談はともかく、KFC の失敗例を見ていると、社会風土によるハンデを克服するためにあえてメニューを工夫するのは意味がありそうです。ただし問題は、「すき屋」がブラジル化された料理で消費者を育てると、競合店出現への敷居を低くしてしまうこと(メニュー開発でネイティブと同じ土俵に上がるため)でしょう。反対に、現地化されたメニューを継続しながら日本志向の消費者(市場)を育てれば、他の日本の競合店の進出の地ならし役になりかねません。つまり、本物を食べるなら「すき屋」ではなく別の店だというイメージ戦略の餌食にされかねないと思うのです。この問題、私は素人ですがマーケティングから見ても興味深いのではないでしょうか? ちなみに、私の友人のブラジル人は、「今ではソ○ーの製品でMade in Japan なんてほとんど無い。でも、私は安心してソ○ー製品を買うよ。だって、どこで作られていてもソ○ーはソ○ーだから」と言っております。私はというと、「どこで買っても、どこで製造してもタイマーを入れてくる技術はすごい」と落胆しつつ、何かしら、つい買ってしまうカモです。
ちなみに私は、ブラジルへ来た頃からBob’s よりマクドナルドに世話になることのほうが極めて多かったです。その理由は味ではなく、ポルトガル語が全くできなくても人差し指を立てるだけでビッグマックのセットを購入することができたから。さすが、世界標準。ずっと時代が下がって、Bob’s の経営陣が「ブラジル人の嗜好にあった柔軟なメニュー」が強みだと発言しているのを聞いて、「確かに外国人には理解しにくいブラジル人のための注文方法だなぁ」と思ったものでした。


筆者 美代賢志 (みよ けんじ)
ニュース速報・データベース「B-side」運営。
HP : http://b-side.brasilforum.com

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